「文化人類学というのは、“異なるもの”と向き合う学問だ。何かが自分と異なるということは、同時に自分が何者なのかがあらわになるということでもある。他者を自分とは異なるものだと思うとき、基準点となる“自分”というものは無色透明ではあり得ない。そこが曖昧なまま他者を研究しようとしても、ただの気の抜けた文章が出来上がるだけだからね。僕が毎回皆さんに言っているのはそういうことです」
層を転移して出たり消えたりする少女、霞と命名された彼女は小桜に引き取られ彼女の家で暮らすことになったとか。
小桜や空魚の解釈では、霞はTさんみたいな裏世界由来の現象だったり、普通の第四種というのではなく、霞の素体は人間であり裏世界側が、こちら側の反応を引き出すためのインターフェースとして仕立てたものではないか、ということで。
そういう違うアプローチもしてくるの、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる類の試行なのかもしれませんが、相手の打てる手が増えているようで怖いなぁ……。
打ち上げの中で、鳥子の誕生日が6月6日という話が出て。その時はお祝いしようと空魚は言ったわけですが。
……彼女自身の誕生日、5月5日が過ぎてしまっていたことで鳥子が機嫌を損ねてしまって。2人が出会った日である5月14日を祝おうじゃないか、という事で落ち着いたのは良かったですけど。
14日までの間に、空魚が「閏間冴月の姿を取ったインターフェース」と接触することになって。彼女の異質さというものを実感することに。
それで空魚は「冴月を殺そう」と動き始めたわけですけど。裏世界側からの接触によって生じた、いわば現象である彼女を殺すっていうのは直接銃弾をぶち込めば何とかなる者でもなくて。
るなや桜子なんかも巻き込んで、冴月の葬儀を行うことで端末に死を認識させる、っていうのは結構好きな解釈でしたね。
解釈論で言うと、冒頭にあった空魚のゼミの講義の風景も結構好きですねー。空魚の好きな「実話怪談」をどう文化人類学的に解釈するのか。
幽霊なんていなくても成立する「なるべく解釈しない怪談」の回答として、「消えたTさんの席がある」というのを出すの、なんだかんだ空魚も弁が立つというか。